2017年6月 第414号 「唇に戸を」
「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである」(マルコによる福音書7章20、21節)
イエス様の弟子たちが手を洗わないで食事をしているのを見た宗教家たちが「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」とイエス様を非難しました。彼らは皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をしなかったからです(マルコ7・2ー5参照)
それに答えて、イエス様はいろいろと教えられた中で言われたのが、初めの御言葉です。
私たちは、心の中にある思い、考えが口から言葉となって出、人を裁いたり、傷つけたりするものです。
「舌を制御できる人は一人もいません。(中略)。わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです」(ヤコブ3・8ー10)とあるとおりです。思わず口に出して、後ではっと気がついても、もう手遅れです。取り戻し、もう一度飲み込むことはできません。そしてそのことで、対人関係が気まずくなったり、人を傷つけたりするのです。正に、舌を制御することの難しさを痛感します。
「わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」(ヤコブ3・2)とあります。
私たちもダビデのように「主よ、わたしの口に見張りを置き、唇の戸を守ってください」(詩141・3)と祈りましょう。