2015年3月 第387号 「なぜ怖がるのか」

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(マルコによる福音書4章40節)

 

ある日の夕方、イエス様は「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われ、共に漕ぎ出したのですが、途中、ガリラヤ湖特有の激しい突風が起こり、舟が沈みそうになりました。弟子たちは怖くなり、舟のともの方で眠っておられたイエス様に助けを求めました。

するとイエス様は起き上り、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と弟子たちに言われました。

私たちも人生の途上で、激しい試練に出会います。そんな時、いくら「なぜ怖がるのか」と言われても、恐れるのは当り前でしょうと反論したくなります。イエス様が共におられるのだから。イエス様が「向こう岸へ渡ろう」と言われたのだから、舟は必ず向こう岸に着く。だから恐れる必要はない、と分かっていても怖くなる。

それは、イエス様が共におられるという現実よりも、目の前の状況を見て自分で判断してしまうからでしょう。

しかし、そんな不信仰で弱い弟子たちの求めに、イエス様は起き上り、「黙れ。静まれ」とみことばによって嵐を静めてくださるのです。(同39節)。

私たちはどうでしょうか。怖がる必要はないことが分かっていても、恐れてしまいます。そんな時こそ、イエス様が共におられるという現実を見て、イエス様にすべてをゆだねましょう。

「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Ⅰコリント10・13)。