2014年4月 第376号  「空の墓」

「週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」 (ルカ24・1~3)

イースター(復活祭)おめでとうございます。

世界広しと言えども、死んで墓に葬られ、三日目に墓が空になったのは、イエス様が葬られた墓だけです。一体これをどう説明したらいいのでしょうか。ある人は、イエスは本当に死んだのではなく、仮死状態だったのだと言います。しかし、イエス様の死を確かめるためローマの兵士がイエス様の脇腹を槍で刺した時、「血と水とが流れ出た」のです(ヨハネ19・34)。これは医学的にすでに死んでいたことの証拠です。また、ある人は、イエスの弟子の幻視ではないかと言います。しかし、時と場所を異にして、何人もの人が同じ幻視をするなんてことが本当にあり得るでしょうか。

またある人は、弟子たちがイエスの遺体を盗んだのではないかと言います。しかし、そのことを恐れたユダヤの指導者たちが、ローマ兵士たちに多額の金を与えて、「弟子たちが盗んだ」と言いふらすようにさせたのです。(マタイ28・12‐15)。

つまり、イエス様は人間の常識、知性。理性を越えて、聖書の預言どおり、また、イエス様がくり返し予告されていたとおりに死に打ち勝ちよみがえられたと信じざるを得ないのです。でないと、すべてのクリスチャンは嘘つきになります(Ⅰコリント15・15)。

「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(同20)