2013年5月 第365号  「イエスに触れた女」

 十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。(マルコ5章25・26節)

 

重荷を負うゆえに

 この女は、まず、経済的重荷を負っています。病気のために財産を使い果たし、福祉制度のない時代、どんな生活をしていたのでしょうか。また、宗教的重荷、律法では出血のある女は汚れた者として、人前には出られませんでした。そんな孤独がありました。

 さらに、彼女には、自分の病気がいつなおるのか分からないという将来に何の希望もない不安と恐れという重荷がありました。

 イエス様は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と招いておられます(マタイ11・28)。

 

信仰をもってイエスに触れた

 彼女は群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れました(マルコ5・27)。その理由は、この方の服にでも触れればいやしていただけると思ったからです(同38節)。

 「溺れる者わらをもつかむ」と言いますが、彼女の必死の思いが、差別されても恐れず、彼女をつき動かしたのです。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じました(同29節)。イエス様も自分の内から力が出て行ったことに気づかれました(同30節)。そして彼女に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず元気に暮らしなさい。」と言われました(同34節)。あなたも人生の重荷をイエス様の元に下しませんか。