2013年10月 第370号  「目を覚ましていなさい」

 「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」  (マタイ 24章42節)

 

 聖書は、イエス様が背信の罪と矛盾に満ちたこの世界を裁くため再び来られることをくり返し約束しています。

 イエス様はマタイの福音書24~25章で、三つのたとえ話しをして、目を覚ましているように注告しています。

 

  「忠実な僕と悪い僕」のたとえ

 主人が帰って来た時、言われたとおりにしているのを見られる忠実で賢い僕は幸いな者で、主人から多くのごほうびをいただけます。反対に、怠け者で愚かな僕は、主人から厳しく罰せられ、そこで泣きわめいて歯ぎしりをします(24・45~54)。いつ、イエスの再臨があっても大丈夫なように、主のみことばに従順に従うことです。

 

  「十人のおとめ」のたとえ

 花婿を迎える十人のおとめの内、五人の賢いおとめは、燈火と別に予備の油を持っていましたが、五人の愚かなおとめは燈火だけでした。だから、花婿が来るのが遅れたため、燈火の油がなくなり花婿をお迎えすることができなかったのです(25・1~13)。油断しないで、目を覚まし備えることです。

 

  「タラントン」のたとえ

 主人から、5タラントン、また2タラントン預かった二人の僕は一生懸命働いて、それぞれ5タラントン、2タラントンもうけました。しかし、1タラントン預かった僕は、誤解して主人を恐れ、穴に隠していたため、主人から持っているものを取り上げられ、暗闇に追い出されました(25・14~30)。目を覚まし、忠実に仕えることです。

互いに心して主の再臨に備えましょう。