2012.1.22. レビ記17:10-12 「命は血にある」
2012.1.22. 聖餐式礼拝
レビ記17:10-12(P189) 「命は血にある」
Ⅰ.血は命〈14〉
▽ 神は「誰も血を食べてはならない」と命じられた〈12〉- 聖書中400回。
▽ その理由 ①血は命であり、血を食べることは殺すことだから〈11〉。
それは(創世記9:3-6)に基づいている。
②血は人の命の贖いをするから〈11〉。旧約では、いけにえの動物
の血を祭壇に注いで、罪人の命の贖いをした。
※ 神に象(かたど)って造られた人の命を軽(かろ)んじることは、神の主権を犯す罪です。
Ⅱ.血は罪を贖う〈11〉
▽ 生けにえの血を神にささげることは、命を贖うために神が定められた方法であ
り、神に罪の贖いの恵みを求める唯一の方法なのです。
▽「贖う」とは、「身代金(みのしろきん)を支払う」という意味で、〈11〉は、「血が命の代金を
支払う」ということで、祭壇に注がれる血は命を贖うことの象徴です。だから
▽ この掟(おきて)を犯す者は、神の裁きを受けて、その命が断たれたのです〈10〉。
※ 血によってのみ、命の贖いと罪の赦しが与えられるのです。
Ⅲ.主イエスの血の力
▽ アダムが罪を犯した時、神は御子の血による人類の救いを決められた(創世記3:15)。
▽ 旧約の生けにえの血は、完全で唯一の贖いのイエスの血の象徴(ヘブライ9:18-20)。
▽ イエスは(ヨハネ6:53-56)と約束された。だから、「今や、キリスト・イエ
スに結ばれている者は、罪に定められることはありません。」〈ローマ8:1〉
※ 主の聖餐の恵みに与る時、御子イエスの尊い血を飲むことが赦されている特権
が与えられていることを心から感謝しましょう。