2012年7月 第355号 「一粒の麦、地に落ちて」
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」 (ヨハネ12・24)
イエスの十字架
イエス様の十字架の死が迫ったある日、イエス様に敬意を抱き慕う数名のギリシャ人が、弟子のフィリポやアンデレを介して面会を求めてきました。(同12・20‐22)
もし、イエス様が十字架の死から逃れようと思えば、彼らの協力を得て、海外に亡命することもできたことでしょう。しかし、十字架の死を避けることこそ、荒野の誘惑(マタイ4章)以来、三年余にわたるサタンの誘惑でした。すべての人を真の神への背信の罪から救うために父なる神様から遣されたキリスト(救世主)であるイエス様にとって、十字架は避けて通れない必然の道でした。イエス様がそれを拒めば神様の救いの計画は水の泡です。
だから、イエス様は、初めのように言われ、自ら進んで、すべての人のため十字架に命を捨て、救いの道を完成してくださったのです。
私たちの十字架
初めの聖句は、主イエス様のご生涯の在り方を示すだけでなく、尊い御救いに与ったクリスチャンの生涯の在り方でもあります。
もし、クリスチャンが一粒の麦となって地に落ちて自己中心的な生き方に死んで、イエス様と共に罪の奴隷となっている人々の霊魂の救いのために生きるなら、これこそが、クリスチャンの負うべき十字架です。家庭や学校や職場やご近所で、同胞の救いのために祈り労しましょう。あなたもきっと豊かに実を結ぶことができるでしょう。