2012年11月 第359号 「悔いのない悔い改め」

 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。   口語訳(Ⅱコリント7章10節)

悔いと悔い改め

 悔いない人はいません。人は悔いる者です。しかし、悔いたからといって人は変わるものでもありません。「後悔先に立たず」とか「覆水(ふくすい)盆に返らず」と言うとおりです。

 「悔い改め」は悔いとは違います。それは単なる後悔ではなく、自分の罪、過ち、高慢さなどを認め、捨て、生き方を変えることです。しかし、真の悔い改めは難しいのです。なぜなら、自分の罪を認めたくないし、責められるのがいやだからです。その証拠に、人は①言い訳をし、②人の所為(せい)にし、③悪いのは自分だけでないと逃げます。始祖アダムとエバは主なる神に背(そむ)いて神に咎(とが)められた時、二人がまずしたことはこれらのことです(創3・8‐13)。

真の悔い改めに導くのは?

 それは、「世の悲しみ」とある普通の悲しみではなく、「神のみこころに添うた悲しみ」、つまり、自分がいかに高慢、憎しみ、恨み、意地悪、悪口、批難、わがままなどで他の人を、また神を悲しませているかに気づき、自分自身を悲しむことです。

 それが「悔いのない救いを得させる悔い改め」に導いてくれるのです。神の前に、自分がいかに罪深い者であるかを自覚し、それを告白し、神との関係を回復し、和解をもたらすため、十字架上で罪を贖ってくださった神の御子イエス・キリストを信じ、すべてを委ねる時に与えられる決して悔やむことのない平安が体験できます。それこそが、真の救いなのです。