2011年11月 第347号 「禍(わざわ)い転じて福とする」
禍(わざわ)い転じて福とする
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現われるためである。」
(ヨハネによる福音書 9章3節)
人生の苦難
町の通りに生まれつきの盲人が物乞いをしていました。生まれた時から光が断たれ暗黒の毎日、仕事もできず、人の情けにすがるしか生きるのないめな生活。どんな毎日であったでしょうか。ところがその人を見た弟子たちは無神経にも「この人がこうなったのは、この人、または両親が罪を犯したからですか。」(同2節)とイエス様に尋ねました。それに対し、主は初めに記したように答えられました。ユダヤ人の一般的なものでした。日本人も、体の障害、病気、その他の苦難を先祖や親の罪と結びつけ、とか宿命と考えますが、それは無限の愛の神様が支配なさっている世界に絶対にあるはずがありません。
神の業
イエス様のお心は、彼がどんな原因で生まれつき盲人になったのかよりも、彼に対する深い憐れみでいっぱいでした。そして、むしろ神様はこの人のために、きっと力あるみ業を現し、生まれつき目が見えないということを活用し、救いのみ業を現すきっかけにしてくださるに違いないと言われました。
人は苦難の時、希望をなくして「世界中で私ほど不幸な人間はいない。」と考えます。しかし、失望しないでください。イエス様があなたの苦難を活用し、きっと素晴らしい祝福への転機に変えてくださるはずだからです。