「思いやりの心」

2013.1.12.        礼  拝

 

Ⅱコリント1:23-2:11(P236)                        「思いやりの心」

 

「わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。」〈1:23〉

 

パウロが初め計画〈1:15,16〉を変えて、コリントへ行かなかったので、教会の人々は誤解し、非難しました。それでパウロはその理由を説明し、次に行く時は互いに喜んで再会したのに、まだ、あなたがたが整えられていないので行かなかったと言っています〈1:23〉〈2:1-4〉。

たとえ相手が悪くても「相手の身になり」思いやる心が大切です。

 

パウロは「私は彼が何をしたか、忘れました。それが教会全体の益となることだから。」と言い、教会の人々を赦しました。

相手を「赦し力づける」思いやりの心には〈2:7〉、サタンもつけこめません〈2:11〉

 

パウロは、教会の混乱の元になっている人を忠告しました。彼は悔い改めたのですが、事情を知った他の人々は激しく彼を責めました〈2:6〉。パウロは「私は彼を赦しているのだから、あなたがたも彼を赦し、愛し、力づけるよう暖かい配慮をしてほしいと切々と訴えています〈2:4,7-8〉。

忠告は教会の成長のため必要です。赦すことは忘れることであり、「相手の成長を願い」、愛をもって忠告することこそ、真の思いやりの心です。

 

〔お祈り〕 天の父なる神様の御名を崇めます。どうか僕が相手の身になり、相手を赦し力づけ、相手の成長を助けるため。思いやりの心を与えてください。イエス様の御名によってお祈りします。 アーメン