「荒野でこその体験」
2013.9.8. 礼 拝
出エジプト15:25-26 「荒野でこその体験」
「モーセが主に向って叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。」〈15:25〉
紅海徒渉から三日目、やっと見つけたマラの水が苦くて飲めないので、民は不平を言い、モーセが祈って示された一本の木を投げ込むと水は甘くなり飲むことができました。そして主は、病の癒しの約束とエリムの12のオアシスで憩う時を備えてくださいました〈15:22-27〉。
出エジプトから1ヶ月、民は食物のことで不平を言います。主は彼らのわがままを受け入れ、パン(マナ)と肉(鶏)とを与え、さらに、七日目の安息のため六日目には「二日分のパン」を与えられました〈16:1-5〉。このことを通して主こそが私たちの神、主であることを示し〈16:12〉、「人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出るすべての言葉によって生きる。」〈申命記8:3〉原則を示されました。
シナイで、また、民は水を求めて不平を言います。モーセは主に従い、岩を打って水を出させ、民に飲ませました〈17:6-7〉-(Ⅰコリント10:4)。また、アマレクとの戦いでは、主も共に戦われ、祈りによって勝利を得ました〈17:8-16〉。
〔お祈り〕
愛する天のお父様、あなたの愛と恵みを感謝します。私が人生の荒野(苦難)でこそ体験できるあなたの恵みを体験し、人生の旅路の戦いを祈りをもって克服できますよう、力を与えてください。イエス様のお名前によってお祈りいたします。 アーメン