「数えてみよ、主の恵み」
2012.12.30. 礼 拝
申命記32:10-11(P332) 「数えてみよ、主の恵み」
Ⅰ.変わることのない真実な神〈4-7〉
モーセは出エジプトしてからの40年をふり返り、主に背き罪を犯して荒野で死んだ人々〈5〉の、子や孫たちに最後のメッセージを伝えています〈7〉。
主のみわざは完全で、すべて正しく真実であり、岩のように不動で、より頼むことができるお方です〈4〉。また、私たちの造り主であり、父なる神でもある〈6〉ことを語っています。(造るは、買い取る、贖うという意味もある)
モーセは、主の恵みを忘れ、背き続けた民のことを「愚かで知恵のない民」という。
Ⅱ.慈愛の神〈8-14〉
モーセは、慈愛の神の恵みの数々を心に留(と)めるよう戒めています。
・約束した「乳と蜜の流れる地」を嗣業として分け与えてくださった〈8,9〉。
・荒野で、瞳を守るように注意深く労(いたわ)り、配慮してくださった〈10〉。
・鷲が雛を訓練し飛び立つように、私たちも訓練し、自立させてくださった〈11〉。
・岩から蜜と油〈13〉、凝乳、脂身、極上の小麦など〈14〉、最上のもので養ってくださった。(イザヤ66:11-13)(申命記8:8-10)
「極上の小麦」は、「命のパンである」主イエス、「深紅のぶどう酒(血)」は、私たちの罪を贖い清めるため流された神の小羊イエスの十字架の血を示しています。
〈15-18〉は、主の恩を忘れ、主に背いた民の罪が記されています。
私たちも、救われてから今日まで、また、今年一年間、たくさんの恵みをもって養い、労い、導いてくださった主の恵みを覚え、感謝しましょう。そしてー
イスラエルの民のように忘恩の民とならないよう心を引き締めましょう。(Ⅰコリント10:5,6,10)