「許し合う愛」
2015.12.13. 礼 拝
フィレモン 8-10(P399) 「許し合う愛」
命じてもよいのですが〈8〉。
「あなたのなすべきこと」とは、フィレモンも罪が赦された者のひとりとして、オネシモの罪〈18〉を赦すことは当り前のことだから。「互いにに赦し合いなさい」〈エフェ4:32〉。
▽「むしろ愛に訴えて」〈9〉とは、パウロとフィレモンと主にある師弟として親しい関係にあるのだから、何の遠慮もなく、命じることができるのですが、ということです。
▽「命じてもよい」〈8〉は、パウロはフィレモンをキリストの救いに導いた恩人なのだから、当然、命令することもできるはずですが、ということです。
▽しかし、パウロは、当然の義務とか関係とか権利、さらに使徒としての権威も用いることなく、謙虚にオネシモへの愛の故にフィレモンに頼んでいるのです。
むしろ愛に訴えて〈9〉。
パウロがフィレモンに頼む動機はただ愛だけです。フィレモンと同じように、獄中で産みの苦しみをし新生に導いたオネシモへの愛。
▽「年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている」とは、決してフィレモンの同情を求めたのではなく、オネシモへの愛故思わず口に出たパウロの自己紹介です。
▽オネシモが真に自由の身となれるように、キリストの愛を動機とし、キリストの愛を動力とし、キリストの愛によって、すべてがスムーズに運ばれることを願ってのことです。
監禁中にもうけたわたしのオネシモ〈10〉。
パウロは、これまで伏せに伏せてきた自分の願いを表に出します。以前、フィレモンの奴隷であったオネシモの名を出します。原点を直訳すると「お願いというのは、わが子、獄中で産んだオネシモのこと」です。
▽パウロは、ここで主人のものを盗み持ち逃げしたオネシモについては、何も言っていません。フィレモンにとってオネシモは今、「霊の弟」であると言いたいのです。
▽以前は二人にとって役に立たない者であったオネシモが、今は役に立つ者と変えられた、パウロにとって「心であるオネシモ」〈11、12〉だからと、愛故の頼みなのです。