「ベトザタの池」

2015.5.10.       礼 拝

 

ヨハネ 5:1-9(P171)      「ベトザタの池」

 

はかない望みベトザタ(憐れみ・恵み)の池の回りに横たわっているのは、不治の病に苦しむ人々です。だから、ベトザタの池は彼らの最後の望みの綱でした。なぜなら、この池の水が動く時、最初に入った人の病が治るという言い伝えがあったからです。しかし、言い伝えや迷信は、余り当てにならないはかない望みです。〈7〉。「ほかの人が先に降りて行く」、これこそ「我先に」という競争社会です。そんな中で、だれか助けてくれる人をただ待つとは、何とはかない望みでしょうか。切羽詰った情況では「わらをもつかむ思い」で信じたくなるのは当たり前、まして38年もじっと耐えてきたこの人、回りの人を恨みたくなる気持ちは分かります。

イエスは、その人の所へ、ご自分の方から歩みよってくださるお方です〈6〉

 

まことの望みイエスは、このようなはかない望みをもって生きている人の所へ近づかれ、彼を見、彼の苦悩を共感して、「よくなりたいか」と聞かれました〈6〉。イエスは、私たちの心の中の苦悩をご存知です。それだけでなく、その苦悩や痛みをいやすことのできる力があるまことの望み、そのもののお方なのです。イエスは、この人の心の中に残っているわずかな望みの火をもう一度燃え上がらせるために、「良くなりたいか」と問いかけて、ご自身に目を向かせられます。イエスは、「私たちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのできる方」〈エフェ3:20〉であることを、しっかりと心に刻みましょう。

主イエスは、あなたの心の情況を理解し、そこから引き上げ、問題を解決してくださいます。だから今、真の望みの主を見上げ、恵みに与りましょう。

 

[お祈り] 天のお父様、御名を崇めます。試練の中にある私が、真の望みの主を、見つめることができますよう信仰をください。イエス様の御名によって。アーメン