「誰かの隣人になる生き方」

2022.10.16.     礼 拝

 

ルカ10:25-37(P126)     「誰かの隣人になる生き方」

 

律法の専門家は、「わたしの隣人とはだれですか」〈29〉とイエス様に尋ねました。私たちは、自分自身の中であらかじめ線引きをし、その人たちにしか意識が向かないのです。しかし、イエス様は、善いサマリア人のたとえを通して本当の愛を私たちに教えておられるのです。

1.一歩を踏み出す

ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われ、倒れ込んでいました。そこに通りかかったのが、祭司、レビ人、サマリア人でした。この三人に共通しているのは、その人を見たということです〈31、32、33〉。ただ、ある人のために行動したのは、サマリア人だけでした。主が求めておられるのは、御言葉を実行することです。

2.寄り添う

サマリア人は、倒れ込んでいる旅人を見つけて、そばにやって来ました。憐れに思い、行動せずにはいられなかったのです。彼の関心事は、ここで止まると『自分自身』がどうなるかではなく、ここで止まらないと『その人』はどうなるかでした。愛の行動は、相手を思い、寄り添うことから始まります。

3.自分自身のできることをする

彼は、自分自身のできる最大限をもって旅人を助けました。それは、何一つ自分自身の利益にならないことでした。私には無理だと感じるかもしれません。けれども、イエス様の愛によってそのことができるのです。なぜなら、私たちは、イエス様の愛をすでに受けているからです。あなたは、愛のバトンを握っているのです。

「行って、あなたも同じようにしなさい」〈37〉。今日、あなたは、だれの隣人となることができるでしょうか。主のしてくださったことを覚え、主に倣う者となりましょう。