「見捨てられたイエス」
2018.7.8. 聖餐式礼拝
マルコ15:25-39(P95) 「見捨てられたイエス」
イエスは見捨てられた
▽〈33〉真昼の3時間の暗闇は、神の怒りのしるし〈出エ10:22〉と、〈34〉父が御子を見捨てられたことを示す。これは〈イザヤ60:2〉の預言の成就。
▽〈34〉のイエスの叫びは〈詩22:2〉の成就。「父よ」ではなく「わが神」と祈られたのは、父なる神との断絶の苦悩。
イエスが「アッバ、父よ」ではなく「我が神」と祈られたのは、イエスが奪われた神の子の特権が、私たちに与えられ、「アッバ、父よ」と祈ることができるため。
新しい命の道が開かれた
▽イエスは、ともに十字架につき、悔い改めた犯罪人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」〈ルカ23:43〉と、新しい命に生きると約束された。
▽旧約時代は、一年に一度、大祭司が民の贖罪のため、至聖所に入ることが赦されてた〈レビ16〉。イエスは十字架でこれを完全に全うされた。
「イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道を私たちのために開いてくださった」〈ヘブ10:20〉。故に「大胆に主の恵みの座に近づ」けます〈同4:16〉。
本当に神の子であるイエス
▽〈27-30〉祭司長はじめ、ともに十字架につけられた犯罪人までイエスをののしった。
▽〈39〉しかし、ローマの百人隊長は「本当に、この人は神の子であった」と告白。「私たちが救われるべき名は」イエス以外にはだれもいません〈使4:12〉。
マルコは「神の子イエス・キリストの福音」と書き始め、最後は、この百人隊長の信仰告白で結んでいる。