「見失った羊」
2022.9.4. ウェルカム礼拝
ルカ15:1-7(P138) 「見失った羊」
イエス・キリストは、主なる神様を羊飼い、私たちを羊に例えて話をされました。この羊は、本来いる場所からいなくなってしまった一匹の羊でした。羊飼いは、そんな羊のために行動するのです。羊飼いにとって見失った羊とはどのような存在だったのでしょうか。
1.価値のある存在
九十九匹と一匹であれば、九十九匹の方が大切だと考えるのが一般的な価値観です。しかし、羊飼いの目には、一匹の羊も価高く、貴い存在だったのです〈イザ43:4〉。主は、誰からも相手にされないような人であったとしても、大切に思ってくださいます。何があっても決してあなたを諦めることはありません。
2.愛すべき存在
羊飼いは、羊を見つけ出すまで探し回りました。その原動力は、愛でした。危険や痛みの中でも羊のことを一番に考えてくださるのです。私たちが神様を愛したから愛してくださるのではありません。神様がまず私たちを愛してくださったのです〈Ⅰヨハ4:10〉。ここに神の愛があります。神の愛を自分自身のものとして受け取りましょう。
3.喜びの存在
羊を見つけた時、一番喜んだのは誰だったでしょうか。見つけてもらった羊ではなく、羊飼いなのです。羊飼いは、喜んでその羊を担いで、家に帰ってきたのです。それだけではなく、友達や近所の人々を呼び集め、共に喜んだのです。あなたを見つけた時、そこには大きな主の喜びがあります。主はあなたを喜ばれるのです。
主なる神様は、あなたのために行動されます。それほどまでに、かけがえのない存在なのです。あなたも今日からこのお方と共にある新しい歩みを始めてみませんか。