「覆いは取り除かれる」
2017.6.18. 礼 拝
Ⅱコリント 3:6-18(P328) 「覆いは取り除かれる」
しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます〈16〉。
律法とイエス様
パウロは、新しい契約について書いています〈3章〉。伝道する(イエス様の成されたことを伝える)時、このことが律法から離れているという人々の批判が起こりました。イエス様の弟子たちの行動から、自分自身も回心前に、同じ思いを持っていたパウロです〈使8:1〉。
律法の文字を大切にすることは、人に厳しくなります。しかし主の霊は人を生かします〈6〉。
モーセの覆い
モーセは神様と会見の天幕でお会いした後、しばらく顔が輝いていました〈出34:29-33〉。主の栄光は、人々にとって恐れとなりました。モーセの覆いは人のために掛けられたのです。イエス様の栄光は永続的です〈11〉。
しかし、鏡に覆いが掛けられていたら、姿を映すことはできません。
覆いが取り去られる 〈18〉
モーセが神様の光を反映したように、私たちは栄光を反映することができます。それは主の霊の働きによります〈18〉。私たちの心に覆い(神様から離すモノ)があれば、神様の栄光を映すことはできません。覆いが取り去られれば、主の栄光を反映しキリストの似姿に、少しずつ変えられてゆくのです。
覆いは主の霊(聖霊様の力)によって、取り去られるのです。
お祈り 天に居ます父なる神様、御名を崇めます!私の心の覆いを除いてください。私たちを毎日、聖霊様の力で満たしてください。神様の栄光を映すことができますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン