「行いの伴う信仰」
2019.2.17. 礼 拝
ヨハネ5:1-9(P171) 「行いの伴う信仰」
「べトザタ」と呼ばれる池 ――今の世の中
▽〈2、3〉。大勢の病人たちが横たわるべトザタの池の五つの回廊。その理由〈7〉。
血も涙もない弱肉強食の競争社会。
▽〈7〉言い伝え、迷信を頼り、ただ、池の水が動くのを待つ。
正に、これは今の世の中の状況と同じです。
良くなりたいか ――信仰の目覚め
▽〈5〉38年も病気で苦しむ人。〈6〉イエスは、この人を「じっと見つめられた」。
▽〈6〉イエスは、その人に「良くなりたいか」と聞かれた。あなたなら何と答える?
▽〈7〉。この人は、「良くなりたいけど、人にはできない」と人間的な言い訳。
▽しかし、そう言うことでイエスを求め始め、その結果、主の恵みを体験します。
床を担いで歩きなさい ――信仰の実行
▽〈8〉イエスは、あえて、律法を犯すことを命じられ、安息日の真意を示す〈16、17〉。
▽この世の物を頼る限り、主の恵みは体験できない。〈9〉彼はすぐ従った。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」〈ロマ10:17〉。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」〈ヘブ11:6〉。