「聖霊に満たされると」

2014.9.7     礼 拝

 

使 3:1-10(P217)     「聖霊に満たされると」

 

〈1-3〉は、この日もいつもと何も変わらない神殿の状況です。ペトロとヨハネは40年間、毎日ここに置かれていた哀れな男を見ていたことでしょう。しかし、この日、聖霊に満たされた二人は、今迄とは違った目で彼をじっと見たのです〈4〉。それはイエスの目です。二人はいつもの自分の目でなく、イエスの目で見る者と変えられました。

 

二人はこの人に「私たちを見なさい」と言いました〈4〉。しかし、私たちはなかなか人に「私を見なさい」とは言えません。つまずかせてはいけないと思うからです。自己顕示欲の強いペトロと短気で「雷の子」と呼ばれたヨハネが、「私たちを見なさい」と言える者に変えられました(使5:32)。〈6〉は、自分の欠点や弱さを隠して、自分を見せたかった者が、自分の内にあるイエスを見せてあげたいと思う者に変えられたのです。聖霊に満たされると見せたいものが変わります。

 

私たちは祈る時、「~を与えてください」と祈ることが多いでしょう。この時弟子たちは〈4:29-30〉と祈り、祈り終えると聖霊が注がれました〈31〉。聖霊に満たされると祈りが「~をください」から、「福音のために私を用いてください」という、「主の同労者」となるための内容に変わります(Ⅰコリ3:9)。スタンドに立つファンやサポーターではなく、フィールドに立って戦う人の祈りへと変わります。

 

[お祈り] 天の父なる神様、御名を賛美します。どうかこの僕が、いつもイエスの目で見、自分ではなくイエスを見せ、主の器として用いられるように変えてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。