「罪赦された平安」
2012.9.2. 礼 拝
ルカ7:50(P117) 「罪赦された平安」
Ⅰ.イエスに対する態度〈36-47〉
① ファリサイ派シモン
・イエスを食事にお招きしたのに〈36〉、当時の習慣のお客様をお招きした時の接待のマナーをしていない〈44-46〉。
・イエスのたとえ話の〈41,42〉、500デナリオンもの借金を帳消しにしてもらった人は、自分の事と気づいていない。もし気づいていたら、〈43〉とは答えないはず。
・自分を義人と思っていたから、罪の赦しを求めていないし、また、イエスが罪を赦す権威のある方と信じていない。だから批難しました〈39〉。
② 罪深い女
・罪赦された感謝を、自分のできる精一杯の事をして表した〈38〉。
・イエスに対する大きな愛は、自分がイエスに多くの罪を赦していただいた感謝の告白であり、〈38〉の行いによって罪が赦されたのではありません。
・〈38〉は、イエスによって罪が赦された結果(現在完了形)であり、それがイエスに感謝を示した行い(過去形)となっています〈47〉。
Ⅱ.罪の赦しがもたらす平安〈48-50〉
① イエスによる罪の赦しの宣言〈48〉
・彼女の罪の赦しは、彼女の信仰による救いと同時に与えられ、イエスの十字架の贖いを信じると過去・現在・未来の全ての罪が赦される(ローマ3:23-26)。
② イエスによる平安の宣言〈50〉→〈8:48〉〈17:19〉〈18:42〉
・イエスがくださる平安とは、罪の呪いと裁きから解放されたという確信。
・イエスの愛から誰も自分を引き離せないという安心。
・どんな苦悩も自分を支配することはできないという主にある自信(ローマ8:35)。
※ あなたもイエスから、罪の赦しと平安を与えられていることを忘れないで!(ヨハネ14:26,27)