「罪とは何か」

2016.8.14.       礼 拝

 

サムエル下 12:13(P497)     「罪とは何か」

 

圧倒的力がある

心のすべてを占領する。ダビデの心を捉えたのはウリヤの妻バト・シェバです。それが適い、実現するなら、どんな犠牲でも払い、どんなに費用がかかってもかまわない。

正しい判断力を麻痺させる。罪はいつも自分の良心と欲望の恐るべき力との格闘の結果です。罪の力が私たちを麻痺させ、目をくらませ、操るのです。

▽パウロは「私は自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」、「私はなんと惨めな人間なのでしょう。……誰が私を救ってくれるのでしょうか」〈ロマ7:19、24〉と。

 

自分で自分を守れない

▽ナタンがダビデに対し、一つのたとえ〈1-4〉を語った時、ダビデは自分のした事を横に置き、何のためらいもなく、即座に正しい評価を下しました〈5〉。

▽人間は常に自分を守ろうとして、実に賢く行動します。しかし、今、ダビデは言い逃れはできません。自分の罪を認めざるを得ず告白しました〈7〉―→〈13〉。

▽「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」〈11:27〉。神も罪はさばきに値すると明言しています。「罪の支払う報酬は死です」〈ロマ6:23〉。

 

罪からの救い

▽ダビデだけでなく、すべての人は神のものを奪い、神の御言葉を踏みにじり、神の招きを拒み、限りない神の愛に対し、頭をかたくなにし、心を閉しています。

▽ダビデの告白した「私は主に罪を犯した」〈13〉は、私たちすべての人のものです。それに対し神は無限の愛をもって「あなたの罪を取り除かれる」のです〈13〉。

▽「あなたは死の罰を免れる」のです。イエスはあなたの身代わりとなって十字架で命を捨ててくださったので、あなたは死ぬことがありません。〈ロマ5:8-9〉