「縛らない=自由」
2015.9.13. 礼 拝
ガラテヤ 5:2-15 「縛らない=自由」
自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい〈13〉。
「あなたは今、自由ですか?」このように尋ねられた時、私たちはどう答えるでしょうか? パウロは人々に「自由である」ことを願っています。それは、自由ではない状態にあったからです〈13〉。
自由を奪うもの 原因は、律法を守る(割礼を施す)ことでした。救われるためには、割礼を受けなければならない!と教える人がいたからです。そこでパウロは「愛の実践を伴う信仰こそが大切〈6〉」と教えました。私たちは、イエス様の十字架の贖いを信じていれば良いと知っています。しかし、自分の大切にしている律法を救いの条件として、強制する人がいました〈9〉。
私たちは縛られやすい 何かに縛られた経験はありますか?中学生までは義務教育ですから、縛られていると言えます。これは守るための縛りです。
パウロは、間違った教えから人々を解放するために教えました〈4、11〉。私たちは間違ったことに、なかなか自分で気付けません。間違えようと思って間違えている訳ではなく、何かを大切に思う事柄から間違ってしまう場合がほとんどです。しかし、それが判ったら改善することが大切です。
自由を得たのならば、私たちは何をしますか? 私たちが神様から頂いた自由は、人に愛を持って仕えるために使う自由です。注意しましょう〈15〉
お祈り 天にいます父なる神様、御名を崇めます。私たちは自分に対しても人に対しても縛りを与えやすいものです。気付くことができますように、あなたが与えてくださった物を大切にして、生きることができますように、導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン