「私である」

2020.4.5.       ウェルカム 礼 拝   

 

ヨハネ福音書18:1-11(P203)       「私である」

 

ゲツセマネのイエス 〈1〉

▽イエスは、弟子たちと共にキドロン(暗い)の谷の向こうのゲツセマネ(油しぼり)の園へ行かれた。そこはイエスが徹夜で祈られた所です(マタ26:36-39)。

▽イエスは、この後のご自分が捕えられ、裁かれ、十字架につけられることをすべてご存知の上で、父のみ心に最期まで従順されました〈4〉。

「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」〈フィリ2:8〉。私たちも主イエスに見習いみことばに従順しましょう。

 

「わたしである」 〈5〉

▽〈3〉イエスは、自分を裏切った弟子(イスカリオテのユダ)に導かれて、捕えに来た人たちに「だれを捜しているのか」と聞くと、彼らは「ナザレのイエス」と答えた。

▽〈5〉イエスは「私である」と答えられた。この語は「エゴー・エイミ」で、「私は有る」の二語です〈出エ3:14〉。イエスが神であることの威厳と力を示すことばです。

だから、それを聞いた「彼らは後ずさりして、地に倒れた」のです〈6〉。あなたが信じているイエスは、全知全能の力ある神であることを覚えましょう。

 

「この人々は去らせなさい」 〈8〉

▽イエスは、この期に及んでも弟子たちを愛された。「この世から父のもとへ移るご自分の時が来た事を悟り、世にいる弟子たちを、この上なく愛し抜かれた」〈13:1〉。

▽さらに、〈10〉ペトロが切り落とした大祭司の手下マルコスの右の耳をも癒された。イエスの愛は「敵をも、憎む者にも親切にする」愛です〈ルカ8:27〉。

イエスはあなたのためにも「聖なる父よ、私に与えてくださった御名によって彼らを守ってください」〈17:11〉と祈ってくださった。