「神様が…くださる」
2016.5.29. 礼 拝
民数記 11:4-10(P231) 「神様が…くださる」
どこを見回してもマナばかりで、何もない。〈6〉
神様は与えてくださる
イスラエルの人々は奴隷として苦しんだ、エジプトの国を出て約束の地(カナン)へ向かいます。40年間の長い道のりでした。人々は苦しむと「エジプトでは…忘れられない」〈5〉と神様へつぶやきます〈1、4〉。モーセは神様と人との間に入り、とりなし、祈って民を導きました〈2〉。神様は民の求めに応じて、水、マナ(パン)〈9〉、うずら(肉)を与えて下さいました。
『慣れる』善し悪し
どんなことにも、善し悪しがあります。良い行いをすること、良き考え方に慣れるのは、善いことです。しかし、人にすべて頼ること、悪い行いに慣れるのは善いことでしょうか? 初めは善いものでも、慣れると当り前になってしまう〈6〉ことがあります。
…慣れることには注意が必要です。
私たちに求めてくださること
神様との距離が近くなり、慣れることは良いことで、安らぐことができます。しかし、私たちは信仰生活でも『慣れて』しまっていないでしょうか?『慣れる』ことの恐ろしさを、考えてみましょう〈申6:5〉。そして、神様の力によって成長できるように、祈り生活してゆきましょう!
日々の生活の中で、神様が成長させてくださることを信じましょう。
お祈り 天の父なる神様、御名を崇めます! 私たちは慣れることで、甘えてしまいます。甘えをも許して下さると信じます。どうぞ私を神様の望んでおられる成長へと導いてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。