「神の憐れみによる」
2016.9.18. 礼 拝
ローマ 9:19-24(P287) 「神の憐れみによる」
これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです〈16〉。
主権は神
私たちは教会で「主権は神にある」という言葉を耳にします。神様のご計画だから、人間である私たちはすべてを理解することはできない。『主権』を考える時「神様は初めから救われる人と救われない人を分けている?」「神様がすべて決めるなら人の意志は関係ないの?」疑問に思うかも知れません。
この疑問を持つ人はパウロの時代にもいます。パウロは答えます〈19〉。
焼き物師の権限
パウロは、神様(=焼き物師)と人間(=造られた器)にたとえます。造られた器が、創造主に文句を言えるだろうか〈20〉。同じ粘土から、貴いものに使われる器、貴くないものに使われる器が造られ、その権限が造り主にある〈21〉と続けます。納得できます。
パロをかたくなにされたのも神様です〈18〉。計画によって私たちの人生が決まっているのでしょうか。
神には憐れみがある
ここで終りません。怒りの器を寛大な心で耐え忍ばれたとすれば〈22〉、憐れみの器として、御自分の栄光をお示しになるため〈23〉パウロは言います。滅びるハズだった器を栄光のために用いてくださる『憐れみ』です。
はじめ救いはユダヤ人のモノでした。しかし、神様は憐れみのお方です。
お祈り 天に居ます父なる神様、御名を崇めます!私たちを造られた神様の憐れみに感謝します。私たちが神様の栄光を表わす者として、最後まで期待する人生を歩ませて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン