「神の国の価値」

2016.4.10.       礼 拝

 

マタイ 20:1-16(P38)     「神の国の価値」

 

ぶどう園の主人

▽このたとえ話は〈19章〉の金持ちの青年に対するイエスの言葉とそれに対する弟子たちの反応に答える話しです。〈19:30〉で始まり、〈20:16〉で締めくくられます。

▽このたとえは、神の国の価値観とこの世の価値観が違うことと、主がいかに寛大な方であるかということと、人の労苦に関係なく一切は主の主権によると示す。

信仰生活は、主と私という個人関係であって、主が他の人にどうなさるかは全く関係がありません。主は一人ひとりと関わられ、愛と正義を実践なさる方。

 

労働者の反応

▽賃金をもらう時、最後に来た人はきっとびっくりしたでしょう。逆に朝早くから働いていた人は、最後の人よりも多くもらえると期待したでしょう。

▽この期待こそがこのたとえ話の重要な点です。主人が全員に1デナリオン与えた事は、この世の価値観では不平等で、不平を言うのは当り前のことです。

主の憐れみは、人間的な公平さを超越しています。放蕩息子の話も同じです。主にとってユダヤ人も異邦人も、また、信仰生活の長い人も短い人も同じ愛の対象。

 

このたとえの教訓

▽誰にいくら払うかは主の権限であって、主は約束を守り、不正はしていません。私たちは、自分の労苦を根拠にして主の恵みを要求してはなりません〈12、13〉。

▽最初の人も最後の人も主人が来て雇ってくれなければ、皆その日のパンを買えないのです。主はすべての人を平等に顧みてくださる方なのです〈8-10〉。

▽この主人の寛大さは、私たちが想像する以上に、はるかに情け深く、恵み深い方です〈14、15〉。だから〈19:30〉で始まり、〈20:16〉で結ばれるのです。