「神の国と神の義を」

2019.7.14.       聖餐式礼拝   

 

マタイ6:33(P11)       「神の国と神の義を」

 

優先順位の教えではない

▽このみことばは、「神を第一にしなさい」という優先順位の教えではない。ここは〈25-34〉の文脈「思い悩むな」の中で理解すべきところです。

・まず、〈25〉「自分の命のことで…。自分の体のことで…。思い悩むな」とあり、

・〈26〉空の鳥、野の花を見て、100%神に信頼して生活すること、

・〈30-32〉「天の父が、私たちの必要のすべてをご存知だから」と勧める。

このことが神の摂理です。

 

だから(そういうわけだから) 〈31〉

▽「摂理」とは、今も「まどろむことなく、眠ることもない」〈詩121:4〉神が一瞬一瞬、みことばによって、私たちの必要を供給し、満たしてくださる。

▽〈31〉「だから(そういうわけだから)」とあるのは、私たちはこのような神の恵みの摂理によって生かされている。そういうわけだから、と〈33〉と招かれている。

〈33〉「求めなさい」は、〈7:7〉の「探しなさい」と同じ言葉です。そして、文法的には「探し続けなさい」と、諦めないで探し続けることです。

 

神の国と神の義を 〈33〉

▽このように現実に神の恵みの摂理によって生かされているのだから、神の国(恵みの支配)と神の義(神との正しい関係)を探し続けるのです。

▽神の恵みの導きに従い、神に感謝して、神との関係を大切にして日々生活を続ける。「そうすれば、すべて加えて与えられる」という約束です。

このみことばは、私たちに対して、神にすべての信頼を置くようにとの招きと、それに伴う神のすばらしい祝福の約束のメッセージです。