「神の叱責」
2020.6.21. 礼 拝
イザヤ書40:25-31(P1125) 「神の叱責」
神に対する誤った考え方 〈25〉「私を誰に似せ、誰に比べるのか」
▽ルターは「神に対するあなたの思想はあまりにも人間すぎる」と言った。私たちは計り知れない神の偉大さを、自分の枠の中にはめて、信じていないか。
▽自分自身が限界のある弱い者だから、神も自分と似た方であると思い違いをしてしまう。逆に、私たちが神にかたどり、神に似せて造られたものなのに。
▽〈26〉神は「目を高く上げ」天地万物を創造し、支配し、支えておられる方の「力強さ、激しい勢い」を見て、神を神として見、考えを正しなさいと言われる。
自分に対する誤った考え方 〈27〉「私の道は主に隠され、裁きは主に忘れられた」
▽神は決してヨブを見捨てられなかったように、あなたを見捨てることはない。神は選ばれた者を決して忘れることなく、どこまでも愛しておられるから。
▽「母親が自分の産んだ乳飲み子を忘れることがあったとしても、御自分の羊であるあなたを決して忘れることはない」〈イザ49:15〉。イエスも同じ方です。
▽もし、あなたが「自分は神に見離された」と思うことは、不信仰であり、救い主イエスを侮辱することだから、誤った考え方を正すように言われているのです。
不信仰 〈28〉「主は、すべてのものの造り主、倦むことも、疲れることもない」
▽神は「私が年老いて疲れ果てると思うのか」、「私がいかに偉大な方であるかを。誰も聞いたことがないのか」と責められる。「主は、とこしえにいます神」〈28〉だから。
▽「神の永遠の力と神性は、被造物に現れてお」る方なのに、「心が鈍く暗くなっ」て、「あがめることも感謝することも」なくなっているのが人間です〈ロマ1:20-21〉。
私たちも、神と自分に対する誤った見方、考え方を正し、改めて、偉大な神に望みを置いて新しい力を得、鷲のように翼を張って、御国を目指し上ろう〈31〉。