「真の弟子とは」
2014.10.26. 礼 拝
マルコ 15:41(P96) 「真の弟子とは」
イエスが十字架につけられると、正午から3時まで全地が暗くなりました〈33〉。これはヨエル2章に「闇と暗黒の日」、「太陽も月も暗くなり」とあり、神の裁きを示しています。〈34〉のイエスの叫びは、肉体の苦痛だけでなく、父との断絶の苦痛です。父が御子を呪い見捨てられました。いつも、イエスは「わが父」と呼ばれますが、ここでは「わが神」です。イエスが私たちの身代わり、罪の代価として死なれました。(ガラ3:13)
この叫びを人々は「エリヤを呼んでいる」と聞き間違え〈35〉、「エリヤが助けに来るかどうか、見ていようと」嘲ります〈36〉。メシヤを待ち望みながら、イエスをメシヤと分かりません。マルコは〈37〉と記していますが、ヨハネは「成し遂げられた」〈19:30〉、ルカは「父よ、私の霊をみ手に委ねます」〈23:46〉と記しています。イエスが死なれた時、神殿の垂れ幕が上から下まで裂けました〈38〉。これはイエスの死と同時に律法の制度が完成したことを示しています。(ヘブ10:19、20)
ローマの百人隊長はイエスの十字架を最期まで見て、〈39〉と告白します。こう告白したのは、弟子たちでもユダヤ人でもなく、本書では異邦人の彼だけです。また、イエスの十字架の下を離れないで、最期まで見届けたのは女性たちだけです〈40、41〉。弟子たちは皆主を見捨て逃げました〈14:50〉。しかし、彼女たちは命がけで従いました。
マルコは、百人隊長や婦人たちのことを書くことによって、暗黙の内に、イエスの真の弟子とは誰なのか、どんな人なのかを私たちに問いかけています。(マル8:34-36)
[お祈り] 天のお父様、御名を崇めます。この僕が自分の十字架を負ってイエスのみ足の後に従い、イエスの真の弟子となることができますように、助け、導いてください。イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン。