「手をあげて」

2016.4.24.       礼 拝

 

ヘブライ 10:19-25(p413)     「手をあげて」

 

信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。〈22〉

 

手をあげる時

私たちはどんな時に、手をあげるでしょうか?決して1つのパターンではありません。聖書の中でも様々な場面で手があげられています。神様の前に誓う時、祈る時、戦いの時…それぞれに意味があります。小さな子どもが抱かれる時の姿、子どもは手を伸ばします。どんな意味があるでしょう?

 

得るものと無くなるもの

大人になると一人前になり、多くのことができるようになります。物事を広い視野で考える(自分の立ち位置を確認する)ことができます。しかし、その反面、人目を気にすること(プライド・体裁)によって、純粋さを無くしてしまう〈サム下6:16〉こともあります。…もちろん見かけだけは不必要!

 

信頼しきって 〈22〉

この箇所はパウロによる、信仰の宣言と励ましの言葉です。イエス様が十字架に掛って下さり、大祭司となられて、私たちと神様の間をとりなして下さるのだから…だから!私たちは子どもの様に純粋に、心から神様を信頼して、信仰生活を歩みましょう!礼拝を捧げましょう!とお勧めします。

私たちは、神様へ両手をあげる信頼をもっているでしょうか?

 

お祈り 天におられる父なる神様、御名を崇めます!私たちは人の目を気にしてしまいます。それは良いことです。しかし、心から礼拝を捧げる時、あなただけに目を向け、手をあげる者となれますように。いつでも主に期待します。このお祈りをイエス様のお名前を通してお祈りします。アーメン。