「愛を表す安息日」
2026.2.15. 礼 拝
マルコ福音書3:1⁻6(P65) 「愛を表す安息日」
「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。」〈4〉
1.狙われるイエス様
ファリサイ派の人々は、イエス様を訴える隙は無いか?と狙っていました。ある安息日に、会堂にイエス様が入っていくと、手の萎えた人がいました。彼らは安息日の規定を守るかどうか?を試そうと見ていました。
イエス様は多くの病人を癒し、神様の愛を伝え、民衆から人気があったからです。
2.行き過ぎた細則
安息日の始まりは、天地創造の時、神様が定められたものです。働くことに対して休息を得る必要と、神様へ心から従っていくために、その日をささげるという意味があります。しかし、律法を口伝していく時、人々はそこに細かな縛りを付け「ただ恵み」ではなく、違反を取り締まる「厳しいこと」にしてしまいました。
安息日は、神様からの愛を受ける平穏と恵みです。
3.愛を表すイエス様
イエス様は、安息日に行うことは「善か・悪か?命を救うことか・殺すことか?」と人々に問いかけますが、誰も答えません。それから、手の萎えた人を中央に呼んで、その手を癒されました。ファリサイ派の人々も、善いことをされたイエス様を、その場で訴えることはできませんでした。
人は、周りの反応によって行動を決めます。しかし、イエス様は人の決めた規定を超え、神様が備えられた愛を、本当の意味での安息日を実行されました。
お祈り 天にいます父なる神様。私たちが安息を受けることができる恵みをありがとうございます。イエス様の語られたことを覚え、愛を行うことができるように導いてください。イエス様の御名でお祈りします。アーメン。

