「心は燃えていても」 前川圭司師
2025.8.31. 礼 拝
マルコによる福音書14:32-40(P92) 「心は燃えていても」
※ 祈りとは何ですか?
ここに座っていなさい 〈32〉
▽「わたしは死ぬばかりに悲しい」=主イエスの苦悶(くもん=苦しみもだえる)
・主イエスはゲッセマネの祈りは、十字架の苦痛と等しきこと。
・主イエスはペトロたちに、ご自分のためにとりなし祈るよう求められた〈33、34〉。
▽しかし、「弟子たちは眠っていた」〈37〉――三度とも〈41〉。
※ 「心は燃えていても、肉体は弱い」から〈38〉。
目を覚まして祈っていなさい 〈38〉
▽その目的――誘惑に陥らぬよう。
その理由――心は燃えていても、肉体は弱いから。
・祈らなくてはと思っても肉体は弱く疲れ易く。一人では弱い。だから早天の祈り・徹夜の祈り・断食の祈り――心を注ぎ出して祈る。
・サタンは祈りを妨げる。
・イエスはペトロのため「信仰が無くならないように祈った」〈ルカ22:32〉。
▽祈りは霊的戦いの武器――主イエスは三度祈られた。
立て、行こう 〈42〉
▽いくら祈っても坐ったままでは何も起こらない。
▽祈ったら、祈ったことは必ず成ると信じ、立ち上り、行動に移す。
▽イエスは言われた「あなたが信じたとおりになるように」と〈マタ8:13〉。
「時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこう」〈ヘブ4:16〉。