「心の傷の癒し」
2014.7.6. 聖 餐 礼 拝
ホセア 6:1-4(P1409) 「心の傷の癒し」
「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。」〈1〉
心の傷は隠さないで、ありのままに言い表わすことが大切です。傷つくことは罪ではありませんが、それをどう処理するかによって罪になることもあります。傷ついた時のことを顧み、それを癒し主イエスのみ手に委ね、どう処理するかを導いていただくことが大切です。なぜなら、癒しは聖霊のみわざだからです。イエスはラザロの墓の前で涙を流し、ゲッセマネでは血の滴りの汗を流し、祈られました。
イスラエルの民は、傷の癒しを求めましたが、神は民の悔い改めを朝の霧や露にたとえ、逆に「私はどうしたらよいのか」と問われました〈4〉。イエスは、あなたの傷を背負って十字架にかかられました。だから、「そのお受けになった傷によって、あなたは癒されました」〈Ⅰペト2:24〉。この事実を信じ、すべてを告白することにより、癒されます。ダビデはバテ・シェバとの罪を隠していた時苦しみましたが(詩32:3,4)、素直に告白して癒されました(詩51:5,6。12-14)。
父なる神がみ子イエスの十字架の贖いによって、あなたを赦してくださったように、あなたを傷つけた相手を赦すことです(エフェ4:32)。口では「赦している」と言っても、いつまでも根にもっていると心の傷跡が、人格と霊的、信仰的に悪影響を与え、成長できません。イエスの赦しを体験し、自分も相手を赦すと癒されます。
上の三つを実践することにより、あなたの心は刷新し、開放されます。(エフェ4:22-24)