「弱い者宣言」 種村神学生

2024.7.14.     礼 拝

Ⅱコリント12:9-10(P339)     「弱い者宣言」

驚く事に聖書はパウロを通して「自分の弱さを誇れ」と語ります。その弱さとは何か、弱さを通して神様は私達に何をなさろうとしておられるのかを今日は見ていきたいと思います。

1.弱くても愛される

私達は弱さを感じる時、自分の無力さに嫌気が差すかもしれません。ただ感謝な事に私達を愛してやまない神様は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」〈9〉と言って下さいます。弱い私達を価値ある者として下さる神様〈イザヤ43:4〉と共に歩みましょう。

2.主は心を見られる

罪も弱さの一つです。私達はつい外面にばかり目がいき、どう見られているのかを物事の判断基準としてしまいます。しかし神様は私達の心を見ておられます〈サムエル記上 16:7〉。人のいう弱さにとらわれるのではなく、私たちの心を知っておられる方がおられ、またその方が最善の道へと導いて下さる事を信じ歩んでいきましょう。

3.弱い時にこそ味わえる主の愛

なぜ私達に弱さが与えられているのでしょうか?それは私達が互いに助け合い、支え合ってほしいという神様からの願いから与えられているとも言えるでしょう。また「私は弱い。だから神様に頼り頼む」と言える時にこそ神の力を味わう事ができます〈10〉。さらにこれがマタイ5:3で語られる「心の貧しい人々」の幸いです。

私達は辛い事があってもただ前向き志向で生きなさいと教えられます。しかしその原点に神様がおられないなら虚しさが残ってしまいます。弱さの中に表わされる神様の愛を味わいつつ、主により頼む人生の喜びを証する者でありたいと願います。