「安息日の意味」

2015.7.5.        聖餐式礼拝

 

創世記 2:1-3       「安息日の意味」

 

私たちは、神の創造のみわざのクライマックスは、人の創造と勘違いをしていますが、実は文章の続き具合や組み立て方から見て、第七の日がそうです。なぜなら、第一の日から第六の日までは、みわざは一つのことだけですが、第七の日だけは、「仕事(みわざ)」が3回もくり返し、強調されているからです。

神は、第二の日以外は、それぞれ「見て、良しとされた」とありますが、第七の日はご自身がその日を祝福し、他の6日とは聖別された特別な日なのです〈3〉。

 

第七の日を安息としたのは、このところからですが、ヘブル原語で、「安息なさった」は「休まれた」です。もとの意味は、すべてを「停止・ストップ」するということです。

安息日律法〈出エ20:8-11〉では、仕事をすべてストップすることが強調されています〈同10〉。その理由は、主が「七日目に休まれた」からです〈同11〉。

私たちは、神のかたちに造られました。だから神に倣(なら)って生きる必要があります。神に倣い、一週間に一度、仕事を休み、神と親しく交わるのです。

「聖なる集会の日」〈レビ23:3〉とあります。神の創造のみわざと、私たちに対する日々のご配慮と、導きに対し、感謝と喜びを表わすため、聖別された日です。

また、〈申5:15〉で示された安息日を守る理由が、エジプトからの救出とあります。私たちは、イエスの十字架と復活により、罪の奴隷から救出されたからです。

さらに〈申12:6、7〉で、もう一つの理由、神のみ前に献げ物を持ち寄り、家族と共に食べ、仕事を休んで喜び祝うためです。それも神の祝福によるのです。

安息日は、仕事を休み、造り主なる神を霊と真とをもって礼拝すると共に、兄弟姉妹といっしょに、神を喜び楽しむ日なのです。〈詩92:5-7〉