「天から与えられる」

2022.7.17.     礼 拝

 

ヨハネ福音書3:22-30(P168)     「天から与えられる」

 

天から与えられなければ、人は何も受けることができない〈27〉。

ヨハネの自覚〈1章〉

ヨハネは、人々に水の洗礼を授ける中で「悔い改め」を説きました。イエス様と出会った時、待っていた人が来たと分かり、この方のために道ぞなえをするという自分の役割が果たされつつあることを自覚しました。

彼は、与えられた使命を全うし、高慢になることはありませんでした。

弟子たちの思い

ヨハネの弟子たちは、ユダヤ地方でイエス様が洗礼を授けていることを知り、大勢の人々がイエス様の方へいくのを見て、快く思いませんでした〈26〉。ヨハネは初めから「自分はメシヤではない」と宣言しているのですが、弟子たちは自分の従っている人に偉くなって欲しいという欲がありました。

人は高慢になり易く、自分の行動に意味を持ちたいと願います。

天から与えられる

ヨハネは「わたしは花婿の介添え人のように、喜びに満たされている」〈29〉と言いました。彼はすべてが天から与えられると知っていたからです。私たちは、生活の中で自分の足りなさを覚える時があります。しかし、すべては「天から与えられ」ています。

私に必要なものはすべて与えられていると感謝し、行動していく者となりましょう。

天の父なる神様 ヨハネの従順を見る時、私たちに与えられているものに不足はないことを感謝します!いつも主の前にあって、私のよきものを喜んでお献げしたいです。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。