「十字架を負う者」

2015.10.4.       聖 餐 式 礼 拝

 

ルカ 23:26-29(P158)     「十字架を負う者」

 

キレネ人シモン <26>    アフリカ北部の町キレネの住民ユダヤ人

シモンは、過越の祭りのため、1.000km以上も旅をしてエルサレムに来ていました。そして彼は、イエスに代わって、無理に十字架を背負わされました。彼にとって嫌で恥な事です。

イエスは、弟子たちに「日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と言われましたが、シモンは、急に弟子とされ、イエスの十字架を背わされたのですが、   

この嫌で恥しい経験は、後に祝福に変えられました。〈マル15:21〉に「アレクサンドロとルフォスの父シモン」とあり、また〈ロマ16:13〉には「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母」とあります。   このことによりシモンが、イエスの十字架を負うというつらい経験を通して、イエスの弟子となり、彼と彼の家族がイエスによって救われるという祝福に与ったことを示す〈使16:31〉。

あなたにとって、自分の十字架を背負って、イエスに従うことは苦しいことです。しかし、その苦しみが、やがて祝福に変えられることを覚え、主に従いましょう。〈ロマ8:28〉

 

エルサレムの女性たち 〈27-29〉

イエスは、なぜ「泣け」と言われたのか<28>。それはエルサレムに危機が迫っていたからです〈29〉。イエスも、この事を思い、嘆かれました〈マタ23:37〉。そして 神殿の崩壊を予告されました〈マタ24:1-2>。この予告は、ローマ軍の攻撃によって、AD70年に成就しました。だから「自分と子どものために泣け」と言われました。

イエスは、ご自分の再臨について何回も予告されています。また、聖書も再臨についてくり返し預言しています。だが、それがいつかは、誰も知りません〈マタ24:36〉。

イエスは世をさばくため再臨されます。その事実を知っている私たちは、危機感をもって、家族、親族、同胞の救いを願い、泣いてとりなしの祈りをしましょう。そして、聖餐の恵みに与れることを感謝し、「主の死を告げ知らせ」ましょう〈Ⅰコリ11:26〉。