「共にうめく」
2015.7.26. 礼 拝
ローマ 8:22-26 「共にうめく」
被造物のうめき〈22〉「今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」
自然界では、大地震や火山噴火、旱ばつや大雨による洪水や台風、動物の弱肉強食など、共にうめき「神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」〈19〉。
「神の子たちの現れ」とは、キリストの再臨による私たちの救いの完成の時です。初めの頃のエデンの園のように弱肉強食がなくなるからです〈イザ11:7、65:25〉。
私たちのうめき〈23〉「神の子とされること、つまり体の贖われること」
現代は、様々な考えられないような事、悲しい事がたくさんあり、人々はうめきながら生き、私たちもうめきながら、主の再臨を待ち望んでいます。
うめき祈りながら、一生懸命イエスを証ししても、人々が心の耳を塞ぎ聞いてくれないこと、そしてその人々の永遠の滅び(第二の死)を思い、心が痛みます。
しかし、そのうめきは「産みの苦しみ」です。私たちの力の及ばない所で神のみわざが起こり、「新しい命の誕生(新生)」という希望があります〈24-25〉。
どう祈ったらよいのか分らずうめく時、共にいる聖霊が助けてくださいます〈26〉。
御霊のうめき〈26〉「言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」
御霊による祈りはうめきから始まります。寂しさや不安、恐れ、人の恨みや憎しみ、様々な後悔など、そのまま神の前にうめきをもって申しあげるのです。
その時、御霊があなたの苦悩を共感し、共にうめき、執り成してくださいます。そして、「神を愛する者たちと共に働き、万事を益と変えてくださいます」〈28〉。
あなたと共にうめき、あなたを助けてくださる御霊によって、あなたの家族、親族、友人の救いと、隣家のリフォームなどを主に訴えましょう。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」〈ヘブ11:1〉