「全てを懸けて従う」
2025.4.6. 礼 拝
マルコ福音書14:32-42(P92) 「全てを懸けて従う」
ゲッセマネは、イエス様や弟子たちにとって「いつもの場所」〈ルカ22:40〉でした。ただ、ここでは、いつもとは違う光景だったのです。ひどく恐れてもだえ始めた主の姿がそこにはありました。十字架の道へと進まれる主の歩みとは、どのようなものだったのでしょうか。
1.神に祈った
イエス様の祈りは、「アッバ、父よ」〈36〉という言葉から始まりました。小さな子どもが父親を呼ぶ時に用いられ、親しみと信頼を表しています。父なる神と子である私たちの関係はどうでしょうか。神は、どのような時にも最善をなしてくださいます。自分自身の力で何とかしようとするのではなく、神への信頼に立ち、祈る者となりましょう。
2.神に願った
イエス様は、「この杯をわたしから取りのけてください」〈36〉と願いました。それは、神の怒りと裁きの杯でした。また、最終的に神から見捨てられるのです。本来、この杯は、私たちが飲まなければならないものです。私たちの罪に対する神の怒りと裁きだからです。私たちが抱えている罪の大きさを覚えましょう。
3.神に委ねた
イエス様は、願いの後、「しかし」と続けられました。「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」〈36〉と神に委ねたのです。神の御心は、独り子を十字架につけることでした。イエス様は、全てを委ね、御心に従われました。十字架の御業によって私たちは救われたのです。主の深い愛に感謝をささげていきましょう。
イエス様は、あなたの命のために、全てを懸けて従われました。このことによって、私たちは救われたのです。今日もこの恵みを覚え、主の御足のあとに従っていきましょう。