「信仰の父アブラハム」
2016.1.10. 聖 餐 式 礼 拝
ヘブライ 11:8-10(P415) 「信仰の父アブラハム」
召しに服従して生きる〈8〉
▽主は、「生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行け」とアブラハムを召されました〈創12:1〉。神に召されたら、それに答えなければなりません。
▽アブラハムは、主の召しに服従して「行き先も知らずに出発」しました。信仰とは離れる事です。どんなに居心地が良く、慣れ親しんだ所であってもです。
▽信仰は冒険であり、挑戦であり、テストです。何が待ち受けているか、分りません。でも、主に信頼し、すべてを委ねて、主の召しに答えることが信仰生活です。
旅人として生きる〈9〉
▽アブラハムは、カルデヤのウルを離れ、神の示す地に着きました。そこには神を信じないカナンの七部族が住んでいました。彼はそこで信仰生活を始めました。
▽信仰生活は、土地付きの家に住み着くことではなく、天幕生活をすることです。それは、主に言われたら、いつでもすぐ、そこを離れるためです。
▽イエスも寄留者として生活されました。イエスは父なる神の使命に服従し、死の向こうの生を望んで、この地の生を終えられました。
聖なる都を待望して生きる〈10〉
▽信仰とは主の約束を信じて生きることです。主の約束は確実であり、主の約束は未来への希望であり、主の約束はあなたへの祝福だからです。
▽信仰とは今の現実だけを見つめて生きることではありません。神の約束を心に留め、信仰生活のゴールである「聖なる都」を望み見て生きることです。
▽私たちの真の故郷は、アダムとエバが神に背く前に生活していたエデンの園のような聖なる都です。それはイエスの再臨によってもたらされます〈13-16〉。