「何をしてほしいのか」 門真聖会1

2023.10.15.     門真聖会 聖会1

 

ルカ福音書18:35-43(P145)     「何をしてほしいのか」

 

Ⅰ.聖書での名前

▽聖書は名前を大切に扱っています。名前にはそれぞれ意味があります。

・祖父は松蔵、父は竹雄、母は梅子――松竹梅(めでたい)

▽神の名は?

・ユダヤ人は、十戒の第3を守り、神の名を口にしなかった。だから聖四文字YHWHをヤハウェと呼んだ。日本語では「主」と訳す。

・神はモーセの質問に答えて、私の名は「わたしはある」と答えた〈出エ3:14〉。神はすべてのものの根源(元)。創造主。

・主イエスは言われた。「アブラハムの生まれる前から、『わたしは主である』」〈ヨハ8:58〉。

Ⅱ.主イエスの問いかけ 〈ルカ18:35‐43〉

▽べトザタの池で38年間の病人のいやし〈ヨハ5:1‐9〉。

・「良くなりたいか」〈6〉――病人の答え、「はい」ではなく〈7〉。

▽二人の人の祈り〈ルカ18:11‐14〉

・ファリサイ派の人〈11‐12〉。

・徴税人〈13〉

▽あなたの祈り

①罪に汚れた者であり、祈る資格のない者であることを自覚する。

・「遠くに立ち、目を天に上げようともせず、胸を打ちたたく」〈ルカ18:13〉。

・罪人であることを自覚し、罪を悔い改める。

②神は罪を悔い改め、へりくだる者に恵みをたもう。

③自分の求めを、はっきりと告白する。

・この盲人のように「主よ、見えるようになりたいのです」とはっきりと〈ルカ18:41〉。

あなたは、主イエスに、何がしてほしいのですか。主イエスに、はっきりと告白し、答えを握りしめましょう!