「主の命令によって」

2015.10.25.       礼 拝

 

民数記 9:15-23(P228)     「主の命令によって」

 

過越祭<1-14>

口語訳では「行う」、新改訳では「ささげる」、新共同訳では「祝う」が8回くり返されています。原意は「行う」ですが、過越祭へ参加すること自体が強調されています。過越祭は〈出エ12:3-8〉に由来します。主は出エジプトの翌年の第1の月の14日(3月~4月にかけての満月の前日)に、最初の過越祭を祝うように言われました〈1-3〉。しかし、この時、死体に触れて汚れた者は、律法により、過越祭に参加できない人々がいたので、主は1ヶ月遅れで、再び行うように言われました〈6-12〉。

・ 主は、この恵みから漏れる人がいないようにと、ご配慮くださったのです〈10〉。過越祭を祝うことによって、民は約束の地へ旅立つ備えが整いました〈15、16〉。

過越祭は私たちにとって聖餐式です。自分は人から非難されるような罪を犯してはいないか、また、恵みを味わうチャンスを自ら拒んでいないか、よく吟味しましょう。

 

主の命令によって〈15-23〉

ここで「主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した」が3回くり返されています〈18、20、23〉。正に、これこそがクリスチャン生活の基本だからです。幕屋を覆った雲は、主の栄光の現われであり、主の臨在の象徴です〈15、16〉。民は、主の臨在と導きにより旅立ち、主の臨在と共にキャンプをしました〈23〉。「あなた方は、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」〈Ⅰコリ3:16〉とあります。あなたは「神の神殿」なのです。

今は、「主の栄光(臨在)」は、神の神殿である一人ひとりの交わりの中にあります。主の臨在から離れた生活は、迷子であり、孤独で平安がありません。

このことをしっかりと自覚して、次のみことばを覚えて生活しましょう〈ヤコ4:13-15〉