「世を友とすると」

2013.9.29.           礼  拝

 

創世記34:1-2(P58)                        「世を友とすると」

 

 「ヤコブはこうして、バダン・アラムから無事にカナン地方にあるシケムの町に着き、町のそばに宿営した。」〈創世記33:18〉

 

ヤコブは、ベテルに上らず、シケムに住みました。族長として神を畏れ、権威をもって対処すべきでしたが、娘が強姦されても黙視し〈5〉、嫁に求められても断っていません。ディナは、神の民として、世を友としないよう自覚をもって生活すべきなのに、無用心にシケムの町に行き強姦されました〈1,2〉。シメオンとレビは復讐は神に委ねるべきですが、妹のことで怒り〈7〉、シケムの人を欺き、男を皆殺しにし、財産を奪い、女、子どもを捕虜にしました〈13-29〉。

34章には神が一度も出てきません。神の臨在のない所には、人間の罪がはびこるだけです。その結果、ヤコブ一族はこの地を出ざるを得なくなりました〈30〉。世を友とした信仰生活はピンチを招くだけでなく、神の敵となることを覚えましょう。(ヤコブ4:4)

しかし、憐れみ豊かな神は、その契約の故に、ヤコブ一族を見捨てることなく、ベテルに帰るチャンスに変えてくださいました〈35:1〉。

私たちも、世を友とすることなく、心身共に清められベテルに向おう。〈35:2-7〉

 

〔お祈り〕

 天の父なる神様、御名を賛美します。どうか弱い私が世を友とすることがないように助けてください。また、失敗してもそれを益となるよう変えてください。イエス様の御名によりお祈りします。 アーメン