「パンの奇跡の意味」
2014.8.17. 礼 拝
マルコ 6:34-44(P73) 「パンの奇跡の意味」
〈34〉。どこから来てどこへ行くのか、また、生きる目的を分らずに迷っている群衆をイエスは単なる同情や憐れみではなく、羊飼いの目で見ておられます。「私は良い羊飼いである」〈ヨハ10:11〉と言われたイエスは、真の愛と言葉に飢えている人々を深く憐れみ、その飢えを満たそうとされたのです。(エゼ34:12,15-16)。イエスが弟子たちに〈37〉と言われたのは、人間をとる漁師となった弟子たちが、自分の弱さと限界を自覚して、主により頼んで、主のみこころを学ぶためです。
〈41〉。4つの(取る、唱える、裂く、分配する)動詞は、ヨダヤ人の日常的な食事のことですが、この奇跡は、最後の晩餐を示す備えです。この奇跡は、マナ〈出エ16〉、エリシャが20個のパンで100人を食べさせた事〈列下4〉。さらにメシヤとしての黙示を思い起こさせます(黙2:17)。ヨハネの福音書では、この奇跡の後、イエスは天からのパン、マナを引用し、「私は命のパンである」〈ヨハ6:35〉と、ご自身の使命を示します(ヨハ6:38-40)。
ヨハネは、この奇跡を聖餐式に結びつけます(ヨハ6:51-54)。だから、この奇跡は、最後の晩餐、再臨までの聖餐式、そしてメシヤの祝宴へと続きます(マタ26:29)。
〈39-42〉は、罪赦された罪人の集まり、生命共同体の教会の頭であるイエスと一体となって、主の再臨を待ち望みつつ、生かされていることを教えられます。イエスの約束どおりペンテコステの日に生まれた教会の姿がその良い例です(使2:44-47)。
門真キリスト教会も、主の臨在によって、初代教会のようにしていただきましょう。
[お祈り] 天のお父様、御名を崇めます。私たち一人一人が、良い羊飼いであるイエスに導かれ、養われ、命のパンであり、教会の頭であるイエスを一足一足従って、門真キリスト教会の発展のために私を用いてください。イエス様の御名によって。アーメン