「イエス・キリストの名によって」
2020.5.3. ウェルカム礼拝
使徒言行録3:1-10(P217) 「イエス・キリストの名によって」
生まれつき足の不自由な男の人生は、この時から大きく変わっていきます。それは、ペトロとヨハネが彼のために何かをしたからでしょうか。決してそうではありません。彼の人生を変えたのは「イエス・キリストの名によって」〈6〉なのです。
1.希望を持つ者とされる
彼の日常は「美しい門」のそばに座って施しを乞うことでした〈2〉。生まれつき足が不自由であったために、働くことができず、いつも誰かに運んでもらう必要がありました。そこには希望がなく、諦めが心を覆っていたことでしょう。主はそんな彼の心も知っていてくださいます。暗闇と思える中でも確かに希望を与えてくださるのです。
2.自由な者とされる
私たちは不自由さを抱えて生きていると言えます。それは全ての人が罪を持って生きているからです。この問題は、どんなに努力をしたとしても自分自身の力では解決することができません。解決を与えるのは、イエス・キリストの十字架だけなのです。揺らぐことのない真の自由はここにあるのです。
3.礼拝を献げる者とされる
彼は神を賛美しつつ、二人と一緒に境内に入って行きました〈8〉。これは当たり前なことではありません。なぜなら、彼は今まで境内に入ることは許されていなかったからです。ここから彼の礼拝者としての歩みが始まったのです。主は変わることのない喜びを与え、礼拝へと導いてくださいます。
イエス・キリストは今も生きて働いておられます。このことこそが私たちの信仰の原点です。今日も「イエス・キリストの名によって」力づけられましょう。