「イエスの愛」

2015.4.5.       イースター聖餐礼拝

 

ヨハネ 13:12-17(P195)        「イエスの愛」

 

イエスの愛は無限です、私たちの身代わりとなり、十字架に命を捨てる「神の小羊」として来られたイエスは、父のもとへ帰る時が近づいたことをご存知でした〈1〉。イエスは、イスカリオテのユダが裏切ることを知った上で、彼に悔い改めのチャンスを与え〈11〉、ペトロが三度拒むことも知った上で〈8〉、最後まで愛し通されました〈1〉。

ありのままで受け入れ、悔い改める者を赦し、決して見捨てることなく、愛し通してくださるイエスの「無限の愛」を模範として、隣り人との関係を作りましょう。

 

王の王、主の主であられる神の御子イエスが、僕となって弟子一人ひとりの足を洗うことによって、「仕える愛」の模範を示されました〈4、5〉。永遠の滅びに至るはずの私たちの罪を贖い、神と和解させてくださるために、僕となって足を洗ってくださる主イエスの「仕える愛」は、カルバリーの十字架につながります。

〈マル10:45〉を心に刻み、主イエスの「仕える愛」をお手本として、己を低くし、キリストの証人となって、まだイエスを知らない人々に仕えていく者となりましょう。

 

なぜ、イエスが僕となって弟子たち一人ひとりの足を洗われたのか、ペトロがその本当の理由を理解していなかったことが、彼の言葉に出ています〈6、8、9〉。〈8、10〉は、「十字架の血によって罪が清められなければ、私と霊的関係が持てない」という意味です。十字架はイエスと私たちを結びつける「清めの愛」です。

「御子イエスの血がすべての罪から私たちを清める」〈Ⅰヨハ1:7〉。私たちも罪を清められた者として、イエスを見倣い「清い愛」で隣り人と接しましょう。

 

【お祈り】 天のお父様、御名を賛美いたします。イエス様の「無限の愛・仕える愛・清めの愛」を模範として隣人に仕えることができますように。イエス様の御名で。アーメン