「アロンの祝祷」
2015.8.23. 礼 拝
民数記 6:24-26 「アロンの祝祷」
〈24-26〉は、「アロンの祝祷」です。「主」が三度あり、三位一体の神の祝福と「御顔」が二度あり、神との親密な交わりが強調されています。
第一の祝福〈24〉。 現実的祝福。旧約時代は子どもがたくさん生まれ、財産が増え、良い地に住み、健康が守られることは、神の祝福と信じていました。
・「守る」とは、造り主ご自身の休むことのない心のこもったケアのこと〈詩篇121〉。
第二の祝福〈25〉。 〈イザ60:20〉に「主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる」とあるように、光の造り主である主ご自身の御顔が私たちをやさしく照らしてくださるという祝福です。
・「恵みを与えられるように」とは、憐れむ、同情するなどの意味があり、主と深く生きた交わりをもつことです。
第三の祝福〈26〉。 主が一人ひとりに愛の眼差しを向けて、平安を与えてくださる祝福です。(ペトロを悔い改めに導いたイエスの眼差し〈ルカ22:61>)。
・礼拝最後の牧師の祝祷の大切さ。
〈7:12-83〉は、イスラエル各部族の全く同じ献げ物が12回くり返し記されています。神の前では「以下同文…」という省略はありません。
・各部族に大小はあっても、主はすべて公平に見、同じ礼拝を求められます。
・神の恵みは分け隔てがなく、それに対し、それぞれに生き応答を求められるから。
全部族が一つとなって、礼拝をささげた後、モーセが臨在の幕屋に入ると主は「掟の箱の上の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から」語られました〈89〉。
・主が天の御座から、民の真ん中に降りて来られ、住まわれたのです。
私たちは神の家族です。一人ひとりの信仰が家族へと広がり、兄弟姉妹が一つとなって、神の前に出ることを主は喜び祝福されます。〈詩133〉