「わたしの恋する人」

2014.9.14.     礼 拝

 

雅歌 5:16(p1055)               「わたしの恋する人」

 

おとめ(クリスチャン)は若者(イエス)を「すべてがわたしを魅惑する(心を引きつけて夢中にさせる)」と、そのすばらしさをほめたたえています。「赤銅色に輝き」〈10〉とは、贖い主(青銅の蛇〈民21〉)を。「頭は純金」〈11〉とは、神としての威光、尊厳、栄誉を。「目…」〈12〉は、神聖(「主である私は聖なる者である」〈レビ19:2〉)を。「頬と唇」〈13〉は、柔和(「私は柔和で、謙遜な者」〈マタ11:29〉)を。〈14〉の「手」は、神の主権を、「胸」は、神の権威を。「脚」〈15〉は、神が不変、不動であることを。「口」〈16〉は、みことばの甘美さ(詩19:8-11)を表しています。おとめは「これがわたしの恋する人、これがわたしの慕う人」と告白しています〈16〉。ちなみに再臨の時のイエスの御姿と比べてみましょう(黙19:11-16)。

〈2:16〉で「わが愛する人はわたしのもの、わたしは彼のもの」と、初めの頃は、「わたし」が第一であり、「愛する人」は自分のものでした。しかし、〈6:3〉では「わたしはわが愛する人のもの、わが愛する者はわたしのもの」と、愛する人のすばらしさに心が奪われてからは、愛する人が第一となり、自分が愛する人のものへと変えられました。さらに〈7:11〉で、「わたしは恋しい人のもの、その人はわたしを求めている(恋い慕っている)」とあります。イエスは、あなたがイエスを愛し求める以上に、あなたを恋い慕っておられます。主イエスのあなたへの愛は「死のように強く、大水も消すことはできないし、洪水も押し流すことはできない」のです〈8:6,7〉―→(ロマ8:35,39)。

イエスは「私の愛に帰りなさい」と言われます。イエスのみことばに留る人が、イエスの愛に留る人であり、互いに愛し合うことができる人です。(ヨハ15:9-12,17)

 

[お祈り] 天のお父様、御名を賛美します。僕がいつもイエスの愛の内に留まり、離れることがないようにお守りください。イエス様の御名によって。 アーメン。