「わたしが持っているもの」  

2025.10.12.     礼 拝

使徒3:1-10(P217)     「わたしが持っているもの」

生まれながら足の不自由な男の人生は、ペトロとヨハネとの出会いを通して大きく変わりました。ただ、彼らが何かできたのではありません。彼らが持っていた「イエス・キリストの名によって」こそが鍵なのです。このことは、私たちも持っているものなのです。

1.希望を与える

生まれながら足の不自由な男にとって、「美しい門」のそばに座り、そこを通る人たちに施しを乞うことは、日常であるのと同時に人生の全てでした。そこにあったのは、希望を見失った姿でした。しかし、イエス様が与えるのは、諦めではありません。そこから立ち上がる力と揺らぐことのない希望を与えてくださるのです。

2.自由を与える

私たちは、自由に生きたいと願っています。しかし、実際は、不自由さを抱えて生きていると言えるのです。それは、罪が原因なのです。イエス様は、十字架によって、私たちを罪から解放してくださいました。このことによって私たちは真の自由を得ることができるのです。日々、イエス様の十字架を覚えて感謝する者となりましょう。

3.賛美を与える

生まれながら足の不自由な男の足は、強められ、立ち上がり、ペトロとヨハネと一緒に神殿の中に入っていきました。この行動は、決して当たり前のものではありませんでした。彼は、主によって賛美が与えられ、礼拝をささげる者とされたのです。あなたは、いつも心からの礼拝をささげていますか。

イエス様は、今も変わることなく、働かれています。このことを自分自身だけで止めてしまってはいないでしょうか。いつも主を証しし、主の愛を伝えていきましょう。